認知の歪みに気づく

他人から傷つく言葉を言われた時

2025年7月18日

「可哀想だね」
「真面目だよね」
「そんなに考えなくてもいいのに」

悪気はなさそうなのに、なぜかじわじわ傷つく

その言葉が頭から離れなくて、何度も思い返してしまう。

「私の受け取り方がおかしいのかな」と思いながら、でも傷ついた事実は消えない。

傷つくのは、あなたが弱いからではありません

言葉そのものより、その言葉に「自分がどんな意味を乗せて受け取ったか」が、感情を作っています。

この記事では、言葉に傷つく仕組みと、受け取り方を変えるヒントを一緒に考えてみたいと思います。

傷つくのは「言葉」ではなく「解釈」

傷つくのは「言葉」ではなく「解釈」

「可哀想だね」
「真面目だね」
「そんなに考えなくてもいいのに」

そんな言葉に傷ついたとき、問題は言葉そのものではなく、自分がその言葉にどんな意味を乗せて受け取ったかにあることが多いです。

言葉が刺さるのは、自分の中に「そうかもしれない」があるから

たとえば「可哀想だね」という言葉。

それが深く刺さるとき、自分のどこかに「私ってやっぱり可哀想なのかも」という感覚が眠っていることがあります。

そこに言葉が触れるから、痛い。

言葉は引き金で、傷はもともと内側にあるんです。

だから同じ言葉でも、ある人には刺さって、別の人にはまったく届かない、ということが起きます。

「真面目だね」という言葉は、褒め言葉にも、批判にもなります。

しかし、どちらになるかは、受け取る側の解釈次第です。

「真面目=面白くない」という解釈を持っていれば傷つく。
「真面目=誠実さ」という解釈を持っていれば、むしろ嬉しい言葉になる

同じ言葉なのに、意味が正反対になります。

相手の言葉そのものより、自分の中の意味付けのほうが、感情にとってずっと大きな影響を持っています。

Kumi
Kumi
認知行動療法では、出来事そのものより、出来事への「解釈」が感情を作るという考え方をします。

「A(出来事)→B(解釈)→C(感情)」という流れで、BとCの間に自動思考が動いています。

「真面目だよね」と言われて傷つくとき、「真面目=面白くない」という解釈が自動的に動いているわけです。

この解釈に気づけると、感情との距離が変わります。

自己否定とのつながりが気になる方はこちら。

傷ついた言葉が教えてくれること

傷ついた言葉は、ただ不快なだけではありません。

「自分がまだ手放せていない何か」を教えてくれるサインでもあります。

「可哀想」で傷つくなら、「私って可哀想なのかも」という感覚がまだどこかに残っている。

「真面目」で傷つくなら、「真面目であることへの引け目」がどこかに残っている。

傷つく言葉を入り口に、自分の中にある「まだ癒えていない感覚」を知ることができます。

それは責めるためではなく、気づくためです。

内側の声との向き合い方はこちら。

Kumi
Kumi
私自身、AC時代に「真面目だよね」という言葉にずっと傷ついていました。

「面白くない」「つまらない」と言われたように聞こえていたからです。

でも今は、真面目なところもズボラなところも両方あると思えているし、真面目って誠実さだと思っています。

言葉は変わっていません。
変わったのは、解釈です。
解釈は経験から作られます。

だからズレていても、それはあなたのせいではありません。

「私ってズレてるのかな」という感覚がある方はこちら。

受け取り方を変えるということ

受け取り方を変えるということ

「解釈を変えましょう」と言われても、簡単にはできません。

解釈は長年かけて形成されたものだからです。

でも、少しずつ変えていくことはできます。

「そう見えるんですね」で一度受け流す

傷つく言葉を受け取ったとき、すぐに反応しなくていいです。

「へ〜、そう見えるんですね」と、まず一歩引いて受け取る。

相手の言葉を、「その人のフィルターを通した感想」として眺める感覚です。

相手の言葉はあくまで、相手の解釈です。

あなたの真実ではありません

Kumi
Kumi
「それはあなたの感想ですよね」という受け取り方は、言葉を跳ね返すためではなく、言葉に飲み込まれないための距離を作るためのものです。

相手を否定するのではなく、「その人にはそう見えてるんだ」と眺める感覚。

これが少しできるようになると、言葉に傷つく頻度が変わってきます。

自分の中の「意味付け」を知る

繰り返し傷つく言葉があるとしたら、その言葉に自分がどんな意味を乗せているかを知ることが助けになります。

「真面目」で傷つくなら「真面目=〇〇」という解釈が動いている。

「可哀想」で傷つくなら「可哀想=〇〇」という解釈が動いている。

その〇〇を自分で言葉にできると、解釈が少し外側から見えるようになります。

外から見えるものは、飲み込まれにくくなります。

Kumi
Kumi
解釈を変えることは、無理やり「気にしないようにする」ことではありません。

「この言葉が刺さるのは、この解釈が動いているから」と気づくこと。

気づくだけで、自動的に動いていた解釈が少し緩んでいきます。

おわりに

言葉に傷つくことは、弱さではありません。

その言葉が触れる場所が、まだやわらかいだけのことです。

受け取り方を変えることは、傷ついた自分を否定することではありません。

「この解釈、本当に正しい?」と一度立ち止まること。
それだけでいいです。

傷つく言葉は、自分の中にある「まだ癒えていない何か」を教えてくれるサインでもあります。

責めるためではなく、気づくために使えると、言葉との付き合い方が少しずつ変わっていきます。

  • この記事を書いた人

Kumi(板山 久美子)

恋愛・心理コミュニケーションライター/元カウンセラー パートナーシップや人間関係をテーマにしたメディアを複数運営。 カウンセラーとしての実務経験をもとに、心理学・自己理解・対人関係に関する記事を多数執筆。 アメブロでのカウンセラー活動時にはフォロワー1,500名・公式LINE60名の実績あり。

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