ジャッジの手放し方 自己否定の沼から抜け出す 認知の歪みに気づく

完璧主義主義のメリットと呪い 〜正しくあろうとして、壊れていく人へ〜

なんで私は、こんなに頑張ってるのに…
こんなに「ちゃんと」してるのに…

なんで毎日、死ぬほど疲れてるんだろう?

それ、もしかして「完璧主義」じゃなくて、「完璧主義“主義”」になってない?

今日はそんな「真面目すぎて壊れそうなあなた」に、呪いの正体と、そこから抜け出すためのヒントを贈ります。

 

「ちゃんとしてない自分」が許せない地獄

「ちゃんとしなきゃ」
「ちゃんとやらなきゃ」
「ちゃんとしてないと…」

気づけば頭の中が「ちゃんとちゃんと」のフルコーラス。

で、それができないと、即・自己裁判

有罪:怠け者。
有罪:ポンコツ。
有罪:社会不適合者。

……おいおい、判決出すの早すぎだろ。

でもこれが、完璧主義「主義」のすごいところで。
「ミスしない自分」「気が利く自分」「全部こなせる自分」がデフォルトになっちゃうのよ。

で、それ以外の自分が出てきた瞬間、「お前誰やねん」って内心で追放する。

冷たい。
マジで。

自分にだけ異様に厳しい人、いませんか?

なんでも「ちゃんとやらなきゃ」
できてない人を見ると「なんでそれでOKなの?」
手を抜くと「自分が許せない」
人に頼ると「サボった気がする」

……ね?
しんどいよね。

本人は気づいてないけど、「真面目であること」を自分のアイデンティティにしてると、それ以外の自分が出てきたとき、全部ダメ出ししちゃうんです。

 

実は「完璧主義主義」って、めっちゃ使える

実は「完璧主義主義」って、めっちゃ使える

正直ね、完璧主義主義って社会的にはめちゃ有能なんだよね。

  • ミスが少ない
  • 信頼される
  • 「しっかりしてる人」って言われる
  • ちょっと雑な人との差がつく
  • 「○○さんってほんとすごいですね」って褒められる

はい、麻薬です。

褒められるたびに、「これが私の価値だ」って、脳内ドーパミン祭り

でもそれってね、「頑張ってる私」が評価されてるだけで、「存在としての私」は、ずっと無視されたまま。

だから、頑張らなくなった(頑張れなくなった)瞬間、価値ゼロになった気がして、死にたくなるの。

 

自分を追い詰める「正しさの檻」

完璧主義主義の一番怖いところはここ。

「理想の自分」が、現実の自分を殺しにくる。

  •  もっとやれたはず
  • 自分にだけは妥協したくない
  • 他人に頼るなんて逃げだ
  • ミスなんて許せない

なのに最近、なんか疲れてる…

しかも周囲からは褒められるから、余計やめられない。

まさに、自作自演の地獄ループ。

 

「ちょっとダメな私」のほうが、愛されるという現実

「ちょっとダメな私」のほうが、愛されるという現実

これが不思議なもんでね、完璧にやってるときより、ちょっと抜けてるときのほうが、人って近づいてくるんだよ。

  • 「あ、間違えた〜」って笑える人
  • 「これ苦手なんだよね〜」って言える人
  • 「今日はちょっと疲れたな」って漏らせる人

そういう人のほうが、なぜか信頼される。
なぜなら、人間味って、「弱さ」の中にしかないから。

 

理想の自分に殺されないために

あなたの「正しさ」が必要だった時間は、たしかにあったよね。
そのおかげで、乗り越えたことも、評価されたこともあるはず。

でも、これからは。

「壊れずに進む」ことが、最優先。

  • ミスしてもOK
  • サボってもOK
  • 頼ってもOK

「ちゃんとしなきゃ」より、「気楽にいこう」で動いてみ?

本当のあなたの魅力って、たぶんそっち側に隠れてるから。

 

まとめ:その完璧さ、もう卒業していいよ

あなたの頑張りは、誰かにとって希望だった。
でも、あなた自身が苦しくなってるなら、そろそろ見直すとき

  • 理想と現実のギャップに勝手に絶望してない?
  • 完璧じゃないと始められない病、発症してない?
  • やらない自分を責めて、自滅ルート入ってない?

完璧主義主義はもう十分に役目を果たしたよ。

これからは、「好き」と「楽」を味方につけよう。
あなたの価値は、「正しさ」で測れないから。

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