認知の歪みに気づく

「あの人はすごい」は、実はジャッジです。それ、自分を「下」に置いてますよ。

「ジャッジはやめたほうがいい」と言われたとき、頭に浮かぶのはどんな場面でしょうか。

あの人のこと、バカにしてたな。
見下してたな。

そういう場面が出てくる人が多いと思います。

でも、ジャッジにはもう一種類あるって知っていますか?

「あの人はすごい」「あの人は特別だ」と、相手を上に置くほうのジャッジです

こっちは気づかれにくいです。
むしろ「謙虚でいいこと」に見えたりもする。

この記事では、崇めるほうのジャッジについて、その仕組みと自分への影響を書いていきます。
比較癖や自己否定に悩んでいる人に、ぜひ読んでほしい内容です。

「ジャッジをやめよう」と聞いて、何を思い浮かべましたか

「ジャッジをやめよう」と聞いて、何を思い浮かべましたか

ジャッジというと、「相手を下に見る行為」をイメージしやすいですよね。

あの人は仕事ができない。
あの人はちょっと非常識だ。

そういうふうに、相手にマイナスの評価を貼り付けること。

これが「ジャッジ」の一般的なイメージだと思います。

でも心理的に見ると、ジャッジは「下げる方向」だけではありません

相手を必要以上に高く置く、崇める、「すごい人」に設定する。

実は、これも「相手を下げるジャッジ」と同じ「ジャッジ」です

方向が逆なだけで、やっていることの構造は同じ。
「あの人と私は違う」という上下の線を、自分で引いている状態です。

「見下すのはよくない」と気をつけている人ほど、こっちのジャッジには無自覚だったりします。

ジャッジそのものを手放す話は、こちらの記事も合わせて読んでみてください。

相手を崇める、上に置く。これもジャッジです

相手を崇める、上に置く。これもジャッジです

職場の上司や先輩を「えらい人」と表現する人がいます。

役職が上、というのはそうです。
でも「えらい」かどうかは別の話で、業務の範囲と責任の範囲が違うだけです。

それを「えらい人」と表現するとき、そこにはすでに上下の序列が生まれています。

SNSでフォローしている人、影響を受けているインフルエンサー、仕事ができると感じる同僚。

そんな人を、「すごい人」「特別な人」に設定した瞬間、その人との間に見えない段差ができます

上下は、自分が勝手に作り出しているもの。

それが、「崇めるジャッジ」の正体です。

Kumi
Kumi
「謙虚でいること」と「自分を下に置くこと」って、全然違うんだよね。
でも実は、混同しやすいところ。
謙虚さって、調子に乗らないってことであって、自分を下げることじゃない。

心理学では、他者を過度に理想化する傾向を「理想化」と呼びます。

自己評価が揺らいでいるとき、人は「完璧な誰か」を外側に作り出すことがあります。
崇めることは、悪意じゃないですが、心が何かを埋めようとしているサインかもしれません。

崇めると、自分は自動的に「下」になる

崇めると、自分は自動的に「下」になる

誰かを「上の人」に設定すると、自分は自動的に「下」に収まります。

上の人には遜らないといけない。
失礼のないようにしないといけない。
意見を言うのはおこがましい。

そして無意識のうちに、萎縮する。
本音を引っ込める。

「私なんかが」という前置きが増える

相手は何も言っていません。
上下を要求してもいない。

でも自分の中で勝手に配置を決めてしまっているから、そこから動けなくなる。

Kumi
Kumi
相手は普通に話しかけてくるのに、こっちだけびくびくしてる、みたいな状態です。
消耗するのは当然。

心理学の観点から見ると、これは「社会的比較理論」と呼ばれる現象に近いです。

人は自分を評価するとき、他者との比較を基準にしやすいです。
特に自己評価が低い状態にあるとき、自分より優れた人との比較をしがちで、それがさらに自己評価を下げるという悪循環が起きます。

崇める → 自分が下になる → また別の「すごい人」を探す。

このループについては、こちらの記事も参考にしてください。

迎合が始まり、本当の関係が築けなくなる

迎合が始まり、本当の関係が築けなくなる

「上の人」に設定した相手に対して、人は迎合しやすくなります。

相手の意見に乗っかる。
自分の考えより相手の反応を優先する。
嫌われないように、気に入られるように、動く。

これは意識的にやっているわけじゃなくて、上下の配置から自然に出てくる行動です。

でも、迎合している限り、本当の関係にはなりません

自分の本音が出せない相手と、深く繋がることはできないんです。
「すごい人」の前では、いつも少し縮んだ自分でいる。

崇めることで、むしろ相手との距離が縮まらない、というパターンがあります。

Kumi
Kumi
迎合してる状態って、相手のことを「人」として見れてない。
「すごい人」というキャラクターを相手に貼り付けて、その人と話してる感じです。

愛着研究では、自己評価が不安定な人ほど相手に合わせることで関係を保とうとする傾向が見られます。

迎合は、もともと自分を守るための行動です。
ただ、それが大人になった今も自動的に動いているとき、関係を深めるどころか遠ざける方向に働いてしまいます

人間関係で同じパターンを繰り返してしまう感覚がある方は、こちらも読んでみてください。

崇められる側も、居心地がいいとは限らない

崇められる側も、居心地がいいとは限らない

ここまで崇める側の話をしてきましたが、「崇められる側」の話もしておきたいです。

誰かに「すごい人」扱いされると、どうなるか。

勝手に期待される。
本音を話したとき「こんなこと言うんだ」とがっかりされる感じがある。
対等に話せる感じがしない。

迎合されてばかりだと、本音が返ってこない。
一緒にいても、どこか物足りない。

このように、崇められることは、相手にとっても居心地が悪い可能性があります

本人にそのつもりはなくても。
むしろ「尊敬しています」という気持ちからきていても。

上下のある関係は、どちら側にいても、どこか窮屈です。

Kumi
Kumi
崇められると、「この人、私に合わせてるだけだな」ってわかります。
それって正直つまんない。
対等に話せる人と話したいんだよな、やっぱり。

まとめ

「見下すのはよくない」と気をつけている人が、実は崇めるジャッジをやっていた、ということはよくあります。

崇める・上に置くのも、同じジャッジです。
そしてこちらのほうが、自覚しにくい。

崇めた瞬間、自分は「下」になる。
そして迎合が始まって、本音が出せなくなる。
本当の意味で繋がれなくなる。

上下をなくすことが、対等な関係を築くための前提です。

相手は「すごい人」でも「えらい人」でもなく、ただ「その人」です。

目の前の人を、上でも下でもなく「その人」として見る。
それが、本当の関係の始まりだと思います。

  • この記事を書いた人

Kumi(板山 久美子)

恋愛・心理コミュニケーションライター/元カウンセラー パートナーシップや人間関係をテーマにしたメディアを複数運営。 カウンセラーとしての実務経験をもとに、心理学・自己理解・対人関係に関する記事を多数執筆。 アメブロでのカウンセラー活動時にはフォロワー1,500名・公式LINE60名の実績あり。

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