「優しいね」って言われることが多い人ほど、なぜか人間関係で消耗してしまうことがある。
相談が来る。
頼られる。
気づけば相手の人生会議に同席している。
で、夜にひとりで思う。
「……私、なにやってんだろ」
これは優しさが悪いわけじゃないんだよ。
優しさの使い方が、ちょっとズレてるだけ。
優しさが依存を呼ぶときの共通点
依存されやすい人には、性格じゃなくて癖があります。
本人は無自覚だけど、行動はわりと共通してるんだよ。
ポイントはひとつ。
優しさに、境界線がない。
優しい=「なんでもOK」になっていない?
- 否定しない
- 最後まで聞く
- 断らない
- 我慢する
- 相手を優先する
- 困っていることに手を貸す
これ、全部できたら確かに優しい人だよね。
でもね、とても大事なことだけど、こういう人は同時に
「どこまで入っても大丈夫な人」
にも見える。
依存する側からすると、ドアが開きっぱなしなんだよね。
気づいたら、玄関入ってくつろいでる。(笑)
バウンダリーは「冷たさ」ではない
ここで出てくるのが「バウンダリー」。
バウンダリーとは、「自分と他者の間に引かれる「心の境界線」のことです。
この言葉、だいたい誤解されがち。
「線を引く=冷たい」
「距離を取る=突き放す」
みたいなイメージ。
境界線は、壁じゃなくて「仕切り」
バウンダリーは、「ここまでが私。ここからがあなた」を分けるものです。
感情も、責任も、人生も。
ごちゃ混ぜにしないための仕切りなんです。
遮断じゃないし、拒絶でもない。
交通整理に近い感じなのね。
境界線がない優しさは、だいたい疲れる
境界線がないと、どうなってしまうかというと・・・
- 相手の感情を引き受ける
- 決断まで一緒に悩む
- 結果の責任も背負う
そりゃ疲れるって!!
しかも相手は楽になる。
自分で立たなくていいからね。
これ、助けてるようで、依存を量産してる状態なんです。
「優しくて弱い」は、実は危ない
ここ、ちょっと耳が痛い話です。
優しさに弱さが混ざると、一気に依存ホイホイになる。
弱い優しさの正体は「嫌われたくなさ」
- 見捨てられたくない
- 嫌われたくない
- 関係を壊したくない
その不安が強くなると、人は「優しい言葉」を選び始めるんだよね。
「大丈夫だよ」
「仕方ないよ」
「無理しなくていいよ」
一見、思いやりに見えるけど、ここで守られているのは相手じゃない。
耳が痛い話かもしれないけど、守っているのは、嫌われたくない自分です。
この瞬間、優しさはもう「弱い優しさ」に変わってるんだよ。
優しさだけでは、人は立ち上がらない
人が変わるときって、
- 自分で考えて
- 自分で決めて
- 自分で引き受ける
このセットが必要なんです。
そこを全部肩代わりするのは、実はかなり残酷なんだよ。
強さとは、冷たさじゃなくて覚悟
声を荒げる人は、強そうに見えるよね。
正論を振りかざす人も、強く見える。
でもね。
それは「押し切っている」だけで、「守れている」とは別なんです。
強い人ほど、淡々と線を守る
強さって、
- 嫌われるかもしれない
- 誤解されるかもしれない
- それでも境界線を守る
この覚悟のこと。
だから強い人は、ベタベタしないし、救わない。
でもそれは、どうでもいいからじゃないんです。
越えちゃいけない線だけは、絶対に譲らない、というだけ。
強さがある優しさは、ちゃんと人を助ける
強さがあると、優しさはこう変わります。
- 話は聞くけど、決断は渡さない
- 共感はするけど、人生は背負わない
- 支えるけど、代わりには立たない
この優しさは、相手を自分の人生に戻すんです。
強くないと、人は助けられない
多くの「優しいけど弱い人」が勘違いしていること。
人を助けるって、手を差し出すことじゃないんです。
その人が、自分の足で立つ力を奪わないこと。
全部聞かなくていい。
全部受け止めなくていい。
全部一緒に背負わなくていい。
それで壊れる関係なら、それはもう依存なんだよね。
まとめ:優しさには「軸」がいる
優しさは大事。
それ自体が悪いことなんて、ひとつもないです。
でも、軸のない優しさは流されてしまう。
相手の感情に、状況に、期待に。
- 優しさ × 弱さ = 依存される
- 優しさ × 強さ = お互い立っていられる
同じ優しさでも、どこに立っているかで、結果は真逆になるんよ。
自分の声を守れる人だけが、他人との境界線も守れる。
線を引くことは、冷たさじゃない。
突き放すことでも、見捨てることでもない。
バウンダリーは防御じゃなくて、姿勢なんです。
ちゃんと立って関わるための、いちばん大人な優しさだよ。