認知の歪みに気づく

自分の声を、敵にしないで

「つらい」

この一言が出そうになった瞬間、脳内でもう一人の自分が殴り込んでくること、ない?

「は?その程度で?」
「このくらい我慢できないでどうする」
「もっと大変な人はいっぱいいるでしょ」

はい、出ました。
内なるブラック上司

これ、外から言われた言葉じゃなくて、
自分で自分に言ってるから、やっかいなんだよね。

「つらい」は事実であって、甘えじゃない

まず大前提として。

「つらい」は評価でも、弱音でも、性格でもなく、ただの状態報告です

暑い日に「暑い」って言うのと同じ。
骨折したら「痛い」って言うのと同じ。

なのに、心のことになると急に裁判が始まるよね

「そのつらさは妥当か?」
「耐える努力はしたのか?」
「他人と比べてどうなのか?」

いやいやいや。
心に対してだけ厳しすぎん?

「このくらい我慢できないでどうする」の正体

「このくらい我慢できないでどうする」の正体

この言葉、どこから来たと思う?

だいたいは、過去から来ています。

  • 泣いたら怒られた
  • 弱音を吐いたら面倒くさがられた
  • 「頑張れる子」でいる方が安全だった

そうやって学習した結果、

「つらい=言ってはいけない」
「感じる前に潰すもの」

になってしまっただけ。

つまりこれ、あなたの本音じゃないんです

生き延びるために身につけた
防衛プログラムみたいなもん。

優秀だけど、今の人生ではもう要らないんじゃない?

声を否定すると、感覚が壊れる

「つらい」を否定し続けると、何が起きるのか?

最初は、

  • 疲れてるのに気づかない
  • 限界を超えてから倒れる

そのうち

  • 何が嫌かわからない
  • 何が好きかわからない

最終的に

自分の人生なのに、他人事

これ、メンタルの話というより、センサー故障の話です。

痛覚を無視し続けた結果、体のどこが壊れてるか分からなくなった状態に近い。

「そうだよね、つらいよね」は甘やかしじゃない

ここで、心の中で反論が出てくる人もいるよね。

「そんなふうに受け止めたら、甘やかしじゃない?」

ちがうよ。

なぜなら「そうだよね、つらいよね」は、行動を止める言葉じゃないからです。

これは

  • 逃げろ
  • やめろ
  • 諦めろ

じゃなくて、

「今、ここが痛いよ」
「ちゃんと感じてるよ」

っていう確認作業なんです

応急処置もしないで「走れ!」って言われたら・・・

そりゃ倒れるでしょ。

自分との会話を変えるだけでいい

自分との会話を変えるだけでいい

「つらい」と思った瞬間。

「このくらいで?」
「弱すぎ」

じゃなくて、

「そうだよね」
「そりゃしんどいわ」
「ここ、無理ポイントだね」

これだけ。

解決しなくていい。
前向きにならなくていい。
意味づけしなくていい。

まずは、自分の声を、事実として扱う

それができるようになると、不思議と

  • 回復が早くなる
  • 判断が的確になる
  • 人に振り回されにくくなる

感情に支配されるんじゃなくて、感情を道具として使えるようになるよ。

まとめ:敵じゃなく、味方でいこう

あなたの中にある「つらい」は、足を引っ張る声じゃないんです。

むしろ、一番早く異変に気づく、優秀なセンサー

それを毎回ぶん殴って黙らせてたら、
そりゃ人生も迷子になる。

「つらい」
「そうだよね、つらいよね」

この一言を許せるようになると、自分との関係性が、静かに変わり始めるよ。

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