「私、自己肯定感高いんで!」
「親とも仲良いし、なんなら自分のことめっちゃ好き」
「がんばらなくていいと思ってるし、無理してないし」
…なのに、なぜか人生が苦しい。
評価されない。
満たされない。
いやなんで????って人、この記事が刺さります。
自己肯定感MAXなのに生きづらい人って、実在する
自己肯定感って、人生ハッピーセットの鍵っぽく語られがちですが、「自己肯定感あるのに、しんどい人」って確実にいます。
たとえば、
- 愛されて育った自覚がある
- 自分のことも好き
- 無理してないし、頑張ってない
- 「ありのままでいい」と本気で思ってる
それでも「もっと評価されたい」「この程度の人生じゃない」と思ってしまう。
一見、自己肯定感フルチャージに見えるのに、なぜか不満と不安がくすぶってる。
これ、実はジャッジ癖という地味にヤバい爆弾を抱えてる可能性が高いです。
ジャッジ癖が、じわじわと人生を詰ませてくる
「私は正しい、あの人は間違ってる」
「私の方が上、あの人はダサい」
そんな風に他人を見下す癖があると、人生の選択肢がめちゃくちゃ狭まります。
なぜなら、自分もその「見下してきた側」になれなくなるから。
- 太った人をジャッジしてたら、自分が太れなくなる(リバウンド許されん)
- 失敗した人を見下してたら、自分が挑戦できなくなる(ミス=死)
- 一人でいる人を見下してたら、孤独になれない(=依存モンスター化)
他人を否定すると、自分の行動の選択肢もどんどん削れていくんです。
まるで、自分で自分の首をジワジワ絞めてるような感じ。
「家庭では特別だった」人が社会でつまずくワケ
「うちは家庭環境良かったよ〜」
「親も兄弟も仲良しで、愛されて育ったよ!」
そんな人が、社会に出てから大苦戦すること、あるあるです。
なぜなら――
家の中での「特別扱い」が、社会では一切通用しないから。
家庭=王様モード
社会=奴隷モード
が、発動しちゃう。
家庭では、
- ちょっと何かしただけで「すご〜い!」
- やりたくないことはやらなくてOK
- 意見は最優先、反論されない
社会では、
- 頑張っても「まあ当然でしょ」
- 指示されて動くのが当たり前
- 「貢献度」という謎メーターで評価される
このギャップがエグすぎて、心がグニャッて折れる。
で、そこでジャッジ癖が再発する。
「社会がオカシイ」
「みんなレベル低い」
「私はこんなとこで終わる人間じゃない!」
…って言ってる間に、まわりはガンガン成長してるっていう地獄。
(まあこわい)
ジャッジをやめたら、人生はまじでバグる
「で、どうすりゃいいの?」
→ まずは「あの人もOK」って言ってみて。
たとえば、
- 「あの服、変じゃね?」→「…まぁ、個性ってことでOK!」
- 「その発言、ウザw」→「…でもあの人なりに頑張ってるかも」
これ、今日たった1回できたら、もう合格◎
ジャッジせずに人を「そのまま」見れたら、自分にもそのままOK出せるようになるから。
しかもね、ジャッジ癖って防衛反応なの。
自分を守るためにやってたんだよ。
責めなくていい。
でもね、
「もっと満足した人生送りたい!」
「このままの自分で生ききりたい!」
って思ったなら、
ジャッジをそっと脇に置いてみるのは、マジで効果的。
ちょっとだけ「ちゃんとする」だけで世界が変わる説
自己肯定感MAXな人って、基本こう思ってるっしょ。
- やりたくないことはやらなくていい
- 無理しないが正義
- 自己犠牲なんて愚か者のやること
それ、別にいい。
めっちゃわかる。
でもね、ちょっとだけ「逆」をやってみて?
- めんどくさいけど、言われる前に動いてみる
- 「誰かがやってくれる」って思ってたこと、自分でやってみる
- 親にちょっと優しくしてみる(←たぶん親泣く)
そしたら、ほんとに世界変わるよ。
まとめ:自己肯定感MAXなあなたは「もっとイケる」
「自己肯定感=幸せ」じゃないんだよ。
- ジャッジ癖が混ざると、人生が詰む
- 他人を見下すほど、自分の人生の選択肢が減る
- 家庭の「特別扱い」が、社会とのギャップを生む
ジャッジをやめることで、本当の自由が手に入るんだ。
今日のやってみようリスト
- 今日ひとつ「ジャッジしそうだったけど我慢できた」場面を思い出す
- それ、自分でちゃんと褒める
- 「あの人もOK!」を1回だけつぶやく(口に出すと脳がビビる)
おまけの本音
あなたはもっとできるんだよ。
自己肯定感MAXで、思考も自由で、天才的な直感持ってるでしょ?
だったらその武器、ジャッジで鈍らせんな。
お前、もっとやれるから。