認知の歪みに気づく

ミスが多くて落ち込むあなたへ 〜反省よりも先に、「安心」が必要だった〜

「今日だけで何回ミスったんだよ、私」

って思った人、はい、同志。

 

プリント忘れた。
言われたこと聞き逃した。
メールにファイル添付し忘れた(あるある)。

ついでに水筒も持ってくのも忘れて、脱水寸前。

それなのに、人一倍「ちゃんとしなきゃ」って思ってる。
だからもう、自分で自分をしばき倒すモードに突入。

…ちょっと待って?
そのミス、誰か死んだ?社会が崩壊した?

 

いや、何も起きてねぇわ。
地球は普通に回ってる。
まわりの人も、普通に昼ごはん食ってる。

つまり、致命傷じゃないミスは、無罪!

 

ミスは「悪いこと」じゃなくて、「ただの人間っぽさ」

でも私たちって、ミス=劣等、みたいに思い込んでるよね。

なんでかっていうと、たぶん子どもの頃から、

「ちゃんとしなさい」
「失敗しないように気をつけて」
「何度言えばわかるの?」

っていう「正しさ警察」の取り締まりを受け続けてきたから。

 

だから、忘れたり間違えたりすると、「またダメな自分が出た…」って思っちゃう。

 

でもそれ、違うからね?

忘れたからって、間違えたからって、あなたの価値は1ミリも下がってないから。

 

「落ち込むな」とは言わない。落ち込んでいい。でも、そこで終わるな

「落ち込むな」とは言わない。落ち込んでいい。でも、そこで終わるな

ミスして、あー…ってなるよね。
わかる。

でも、そのまま自己否定ループに入ると、本来の自分の力が出せなくなるよ。

しかもそのループって、正解なんてない罰ゲームみたいなもんで、終わりがないし、誰も助けてくれない

 

だからこそ、一回、自分を味方に戻そう。

 

「お前またやったな〜」って、笑って許せる人がそばにいたら、どれだけ救われるか。

その「そばにいる人」を、まずは自分自身がやってあげる

 

自分責めじゃなく、「構造」を見るってこういうこと

たとえば、毎回同じタイミングでミスしてるなら、それは構造の問題かもしれない。

  • 確認の仕組みがない
  • リマインダーを使ってない
  • 余裕がないスケジュールに詰めすぎてる

こういうのって、自分の「やり方」を直せばいいだけ。

「私はダメな人間だ…」って人格否定する必要は、どこにもないよ。

だってほら、脳のキャパなんて日によって違うし、人間ってもともと、抜けてんのよ

抜けてる前提で、設計すればいいの。

 

今日の私はというと

今日の私はというと

4ミスしました。

でも「1アウトチェンジ」じゃない。

3ストライクからが人生だと思ってるんで。

 

ミスしたぶん、自分に冷えたビールとポテチ支給。

「おつかれ!人間やっててえらいな私!」でフィニッシュ。

 

まとめ:ミスしたって、人間だもの。

どんなに気をつけてても、ミスは出る。
それは「だらしない」とか「気が緩んでる」とかじゃなくて、ただの人間の仕様です。

今日もたくさんミスしたかもしれない。
でも、あなたはまだここにいて、立ってる。
それだけで、まずは大合格。

  • 「またやっちゃった…」って思っても、そこで終わらなければ全然OK。
  • 落ち込むのも大事。でも、自分を見捨てないことのほうが、もっと大事
  • 構造を見直せば、同じ失敗は減らせる。つまり「やり方」の問題。
  • 人間なんて、基本ゆるい生き物。完璧に動ける日ばっかじゃない。

だから今日も、自分にこう言ってあげて。

「おつかれ、私。よくやってるよ。
ミスしても、ちゃんと立ってる。えらいえらい。」

ポテチとビールのご褒美、用意しといて。

反省より先に、自分をいたわる時間を持とう。

人間って、そうやって強くなるもんだから。

-認知の歪みに気づく
-, , , , , , , ,