「どうしよう」
「どっちも捨てがたい」
って、思考がぐるぐるしてる時、あるよね。
実は「優柔不断」じゃない。
ただ「選んだあとに責任を取る自信」がまだ育ってないだけ。
怖いのは「選ぶこと」じゃなく、「選んだ自分を責める未来」なんだよね。
だから止まる。
そして「決められない私」をまた責める。
そのブレーキにも、ちゃんと「仕組み」があるんです。
決められない=サボりじゃなくて、「人間の防衛本能」
人は失敗を避けるようにできています。
それ、脳の設定。
仕様。
初期不良じゃない。
心理学的には「決定回避」って言うけど、要するに「未来の後悔を先に怖がるやつ」ね。
「選ばなければ失敗しない」っていう、超ずる賢い脳の裏技。
でもさ、人生のど真ん中で「スキップ」押し続けたらどうなると思う?
安全だけど、景色は変わらない。
イベント発生しないゲーム。
誰がやりたいのそれ(笑)
迷いが長引くほど、エネルギーは摩耗する。
脳内会議を何日も開いてるようなもん。
「保留」はやさしさじゃなくて、
自分の時間と心をちょっとずつ削っていく静かな浪費なんだよね。
怖いのは「間違えること」じゃなく、「そのあと」
「選んで失敗したらどうしよう」
「後悔したらイヤだ」
――ほんとの恐怖はここにあるよ。
私たちは「失敗」そのものより、「失敗した自分をどう扱うか」に怯えてる。
「なんであの時あんなことしたんだろ」
「やっぱりあっちにすればよかった」
って、後から責める自分が目に浮かぶ。
それが嫌で、動けなくなる。
未来の「ダメ出し」が強すぎるんよ。
でも逆なんだよ。
動かなかった後悔の方が、長持ちする。
静かに腐るタイプのやつ。
怖い気持ちは、未来を思う誠実さの裏側。
だから「怖い=ダメ」じゃない。
「怖いけど進む」を何回か繰り返すうちに、
「選ぶことの筋力」が育っていく。
「慎重さ」は「やさしさ」の裏返し
決められない人ほど、実は誠実で繊細だよね。
軽く扱いたくない。
ちゃんと考えたい。
「後で傷つけたくない」って思ってる。
その慎重さは、「人を大切にしたい」サイン。悪者じゃない。
ただね、ずっと慎重モードのまま人生送ると、エンジン冷えたままなんよ。
優しさをブレーキにするんじゃなくて、「ハンドルの感度」に変えよう。
「これ、ほんとの私が納得してる?」
って聞けたら、それがもう方向転換の一歩。
慎重な人ほど、動き出す時の一歩が静かで美しいんだよ。
勢いより深さ。
速さより温度。
その丁寧さは、ちゃんと誰かの心を動かしてる。
「正解」より「納得」。これ鉄則な。
正しい選択なんて、存在しない。
あるのは「納得して選んだかどうか」だけ。
迷ったら書け
「どっちを選んでも私は死なない」笑。
はい、お疲れさま。
次に聞け
「未来の私がどっちを面白がる?」
ネタになりそうな方が、だいたい当たり。
そして決めたらこう言え
「まぁ、これでいっか(今のベスト)」
完璧より「今の自分に正直」の方が100倍健全。
後悔が出たら筋肉痛と思え。
動いた証拠。
だって動かないと痛くもならないんだから。
人生は、動いた分しか景色が増えない。
「慎重に選んだ一歩」が、結局いちばん安全ルートだったりする。
まとめ
決断力って、「正解を当てる力」じゃない。
「失敗しても立ち直れる力」。
「決められない」の裏には、
「誠実でいたい」っていう優しさと、
「後悔したくない」っていう臆病さが同居してる。
でもね、どっちも悪くない。
どっちも「ちゃんと生きようとしてる証拠」です。
だから今日、どっちでもいい小さなことを決めよ。
昼飯でも、返信タイミングでも。
その瞬間、人生がちょっとだけ「再生」に切り替わる。
決断って、勇気じゃなくて生活。
選ぶ力は、生きる力そのもの。
怖がりながらでも動く人が、人生を面白がれる人になる。
今日ひとつ、「小さな決断」をしてみて。
未来の自分、けっこう喜ぶから。