私はかつて、こう思ってた。
「私が心理学を学んで、気づいて、変われば、相手もきっと変わってくれるはず…!」
うん、甘かった。
ていうか、傲慢だった。
いやむしろ、若干ホラーだった(←被害者の気持ち)
心理学を「使って」人を変えようとすると、だいたい嫌われる
私、心理学もスピリチュアルも、大好きだった。
でも、使い方を間違えてた。
目的が「自分の癒し」じゃなくて、「相手を矯正」になっていた。
「あなたって、インナーチャイルドが癒されてないだけだから」
「それ、親子関係の投影だよ?」
「魂の成長のために、起こってるんだよ(ドヤ顔)」
いや、知らんがなってなるよね、相手は。
そりゃ、嫌われる。
むしろ逃げられる。
むしろ霊障扱い。
真実:心理学もスピも、「自分のためだけ」に使え
心理学もスピリチュアルも、本来は超パーソナルな道具です。
つまり、自分の人生の取り扱い説明書を読み直すためのもの。
誰かの頭にぶつけて気づかせるもんじゃないの。
説教に使ったら、ただの「武装」だよ?
優しさじゃなくて、マウントなんだよ。
結論:自分が変わったら、相手も変わる「かも」しれないし、変わらない「かも」しれない
相手が変わる保証なんて、どこにもない。
でもさ、相手や環境が変わらなくても「平気な自分」になれたら最強じゃね?
それが本物の安心だし、自由だし、愛だよね。
「守るための心理学」から「愛を伝える心理学」へ
最初はね、私も心理学を「自分を守るため」に学んだんだよ。
- 傷つかないために
- 操られないために
- 支配されないために
でも、それだけじゃ終われなかった。
その先で、心理学はこう変わったんだ。
「自分に愛を伝えるためのもの」へ。
自分に
「よくがんばったね」
「本当は怖かったんだよね」
って声かけられるようになるよ。
そして、それが「勝手に」伝わっていく
自分をちゃんと愛してる人って、なんかもう、黙ってても伝わるのよ。
- 押しつけてこないのに、説得力がある
- 分析しないのに、めっちゃ共感できる
- 正そうとしないのに、「私も変わりたいかも」ってなる
これが、本当の変化だよ。
「自分を変えた人」からにじみ出る、無言のラブレター。
まとめ:人を変えたい時こそ、自分を愛するターンです
心理学やスピリチュアルは、「人を変えるため」のツールじゃないんです。
自分を守る・癒す・愛するためのもの。
相手が変わるかどうかは、「おまけ」なの。
自分に愛を向けていくと、勝手に周りに伝わるよ。(しかも副作用で)
今日のアクション
「この人、なんでわかってくれないの?」と思ったら、
「私は今、なにが怖いのか?」って問い直してみよう。
そして、
「怖かったんだね、でも大丈夫だよ」
って、自分に言ってあげようね。
それが、「人を変えようとする地獄ループ」から抜け出す第一歩です。