【注意】
この記事は、あえての煽り口調でお届けしてます。
(私は、口も性格も悪いです。知ってます。これが私の本性ですww)でも、なんか刺さるかもしれない。役に立つかもしれない。
(知らんけど。自己責任で読んでね)もし今、「人間関係でモヤモヤしてる」「なんか疲れてる」って思ってるなら、ちょっと覗いてみてもいいかもね。
「人間の悩みは、すべて対人関係の悩みである」
これは、アドラー心理学のメインとなる概念です。
悩みの種が仕事であれ、恋愛であれ、交友関係であれ、全ては「人間関係」に通じる。
つまり、人間関係が詰むと、人生が詰むんです。
いやもう、これは全人類に言いたい。
全人類案件だよ。
どうせ、
「人に好かれたいからいい人ぶろう」とか、
「我慢が美徳」とか、
「努力すれば好かれるはず」とか、
「嫌われたらダメ」とか、つまんねーこと言ってんでしょ?
それさ、自分の心、無視してない?
自分の心を無視してまで、人に好かれて嬉しいの?
・・・わかるよ。
自分に自信がないから、自分のこと嫌いだから、誰かに認めてもらいたくて、頑張ってんだよね。
でもさ、どんなに努力して人に好かれても、自分に嫌われてしまったら不幸だよ?
他人は一時の付き合いだけど、自分は一生付き合わなきゃいけないんです。
じゃあどうすればいいのか?
「誰とでも仲良くする」幻想から卒業して、「本音で付き合える人」とだけ、深くつながればいい。
「理想の人間関係を言語化しておくこと」のメリットとデメリット
そもそも、「自分はどんな人間関係が理想か」って、言語化してる?
ほとんどの人は「なんとなく」で、人と付き合ってるでしょ。
でも、「なんか疲れるな」とか、「この人といるとモヤるな」って思ったとき、言語化されてないと原因がわからないんだよね。
で、まーーーた、同じような人にバカにされて。
モラハラされて。
いいように利用されて。
なんかわかんないけど自尊心が下がっちゃって。
で、自分のこと、また責めて。
って、ここまでが今までのワンセットでしょ?
知ってるよ?
あのね。
自分の「人間関係の美学」を持ってるかどうかで、人生の質は変わります。
じゃあ、言語化すると何が起こるのか?
いってみよっか。
〈言語化していないことのデメリット〉
まずは、理想の人間関係を明確にしていないことのデメリットです。
- 自分を押し殺して、相手に合わせるのが当たり前になる
- どこまで許していいかがわからず、曖昧なまま関係が続く
- いつのまにか、誰かの期待に応えるのが「好かれる人」「いい人」の定義になってる
- 嫌な思いをしても、「どこが嫌だったのか」がわからずモヤモヤだけが残る
うわっ!苦し〜・・・
こんな生き方、してない・・・??
〈言語化するメリット〉
- 自分にとって心地いい人と、そうでない人がハッキリわかる
- エネルギーの無駄遣いが減る
- 「こういう人がいい」が明確になるから、出会いの精度がバチバチ上がる
- 他人に振り回されなくなる(自分軸・爆誕!)
要するに、「これは私の美学なんで」って言えるようになるってこと。
〈言語化することのデメリット〉
- 「合わない人」がすぐわかるぶん、無意識に相手を線引きしてしまったり、イライラしたりするから疲れる(笑)
- 結果、ひとりの時間が増えるので「孤独かも…?」ってなるときがある
- 自分の基準が明確になるぶん、他人のズレに敏感になる
でもさ、その孤独って「ご褒美の静けさ」だからね。
その孤独な時間に、自分軸が育つ。
それでも私は、言語化をすすめたい。
だって、人間関係の質が、人生の質を決めるから。
誰とでも仲良くしません(宣言)
ここでハッキリ言おう。
私は、誰とでも仲良くするタイプではないです。
仲良しこよししたいタイプでもない。
座右の銘は、「来るもの選んで、去る者追わず」です。
そもそも「来ない」人には、関心を向けられない。
「全員に好かれたい」とか、「なんとなく合わない人」にも優しくするのは、無理。
時間もエネルギーも無駄遣い。
エコじゃないんです。
騒がしくない、でもちゃんとつながってる。
そういうのがいちばん安心します。
付き合いが浅い=悪じゃない。
付き合いが深い=正義でもない。
大事なのは「選び合い」です。
でね、ここが大事なんだけど。
深い付き合いができる人が一人でもいると、孤独に強くなるよ。
そして、どうでもいい人にエネルギー使わずに付き合えるようになるんです。
これは私の「絶対シャットアウト対象」
私が避けるのは、この3タイプです。
- 他人をジャッジしてマウント取る人
- 上下関係でしか安心できない人
- 「あなたの承認がないと生きていけない…」系の人
いや、私、無料承認ATMじゃないんだけど・・・
と思って、引いてしまいます。
自己肯定感を他人に預ける関係って、最初はうまくいってるように見えて、必ずどっかで破綻します。
なぜなら、片方がどんどんしんどくなるからね。
つまり、依存関係になってしまう。
だったら最初から「分かち合える人」だけでいい。
「どっちが上か」「どっちが正しいか」でしか関われない人とは、信頼関係は育ちません。
それが現実なんですよね〜。
私が心地いいと思う関係のかたち
- 「正しさ」より「誠実さ」
- 「反応」より「共鳴」
- 必要なら、沈黙していてもいい関係
ジャッジも依存もなく、「そのままの私でいられる人」こそが、大事にしたい相手です。
相手に合わせて自分をねじ曲げる関係ではなく、お互いが自然体のままで成り立つ関係にこそ、安心と信頼があります。
「嫌われること」に許可を出すメリット
「関わるかどうかを選び合える関係」って、ラクなんだよね。
- 「なんで通じないの?」って悩まなくなる
- 媚びも演出もいらないから、疲れない
- 「この人なら、ダメな自分を見せてもバカにされない」って信じられる
でね、ここ大事なポイント。
「誰にでも好かれようとする」のをやめると、「誰かに嫌われてもいい」っていう許可を、自分に出せるんです。
そしたら不思議なことに、自分が「この人ちょっと苦手…」って思った相手に対しても、ちゃんと距離を取れるようになる。
人から嫌われることをOKにすると、人を嫌うことにもOKが出せるんだよ。
これ、めっちゃ大事。
それって冷たいんじゃなくて、健全な選択だと思います。
あなたも、「人間関係は選んでいい」。
この記事が、そう思える小さな後押しになりますように。
私が見るのは、「その人の在り方」だけ
私は、完璧な人が好きなわけじゃないです。
それよりも、間違えたり、迷ったりしても、自分にちゃんと立ち戻って、問いを立てられる人。
そういう人には、私は自然と心がひらきます。
クズでもいい。
弱くてもいい。
ちゃんとしてなくていい。
ダメでいい。
ネガティブでもいい。
性格悪くても、口悪くてもいい。
ただね。
自分でその「ダメなところ」を受け入れてるかどうか。
そこがめっちゃ大事なんだよ。
自分の「欠点のように見えるもの」を受け入れてる人って、安心感があるんです。
その「抜け」や「弱さ」が、人をホッとさせたり、愛される要素になったりするんだよね。
欠点を隠す人
逆に。
その欠点(ぽいもの)を一生懸命隠して、「正しさ」や「役に立つこと」で承認を取りに行こうとする人って、なんかこう、薄っすら怖いんです。
上から張り合ってくる感じとか、逆に過剰にへりくだって入ってくる感じとか。
好かれようとしてやっていることが、嫌われる要素になってしまう。
なぜなら、隠しているつもりでも、バレてるから。
あなたが本当は弱いことも、クズなことも、
ちゃんとしてないことも、頭悪いことも、
かまってちゃんなことも、
性格悪いことも、ポンコツなことも。
全部、バレてる。
あなたが隠してるものは、バレている。
そのチグハグさに、人は一線引くんです。
それを隠しながら「関わりたい」よりも前に、「承認されたい」「安心を奪いたい」みたいな下心が透けて見えた瞬間、私は秒で逃げます。
そりゃもう瞬足で。全力で。
スタートダッシュが命。
でもね、そういう振る舞いって、本人にも自覚がないことが多い。
だってそれ、無意識に身につけた「生きのびるための癖」だから。
そうやって、
「嫌われないように」
「役に立つように」
「ちゃんとしてるように」
ふるまってきたんだよね。
・・・たぶん、一番最初の相手は、お母さんだったんじゃないかな。
本当は、「どんなあなたでも大好きよ」って、言って欲しかったのにね。
おわりに
この記事は、私自身のカウンセラー時代の集客のための記事を、再編したものです。
人の悩みは、ほぼ「人間関係」に関すること。
お金に関する悩みだって、仕事に関する悩みだって、深掘りすれば「人間関係」なんです。
そしてその悩みを引き起こしている大きな要因は、
- 自己否定
- ジャッジ
- 認知の歪み(思い込み)
です。
今回は、自己否定について書きました。
私のこの記事が、誰かの生き方の見本になるわけじゃないでしょう。
正解は人それぞれ違いますから。
でも、自分なりの指針を持っておくことが、人間関係に悩まないための第一歩になるんじゃないかと思います。
「選んでもいい」「選ばれなくてもいい」
「離れてもいい」「離れられてもいい」
「嫌ってもいい」「嫌われてもいい」
「好かれなくてもいい」「好きにならなくてもいい」
どっちでもいい。
それでもあなたは、ここにいていい。
あなたにも、あなたの価値観が見つかりますように。
それが、私からのメッセージです。
この記事を読んで「うっ…私のことかも」と思った人へ
その感情は、ちゃんとあなたの中に「変わりたい何か」があるってことだから。
焦らなくていいよ。すぐには変われなくてもいい。
まずは、「気づけた自分」を、そっと抱きしめてあげてね。